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史跡巡りに行ってきました

一昨日(16日)、平成21年度第3回史跡めぐり
「駒込追分・根津に江戸の面影を訪ねて!」という
イベントに参加してきました。

集合場所は東大農学部正門前。
集合時間は午後1時15分。

20分ほど早く着いたのですが、


いるわ、いるわ年寄りばかり!!


平日の昼間の地味〜なイベントなので、ある程度は覚悟していたのですが
おじさん、とか、おばさん、を通り越した、いわゆる

おじいさん、や、おばあさんばかりなのです!!

若者は私一人。

いえ、私とて決して若いわけではないのですが、、、。

現代日本の縮図のような団体です。

はぁ〜、まいっちんぐ、、、
この中に混じって一日歩くんかいな、、、。

まぁ、とにかく一グループ12名に分かれ、
文京区のまち案内ボランティアさんの説明を聞いて歩きます。

まずは、東大農学部正門前にある駒込追分と高崎屋。

この高崎屋さんというお酒屋さん。
250年も前から続くお酒屋さんです。

その昔は、それはそれは繁盛していたようで、
そのドでかい建物の絵が文京ふるさと歴史館にも(レプリカですが)
展示されております。

現在も続いているというので、いつかは見てみたいなぁと思っていたのですが
いざ見てみるとガッカリ。

せっかく明治時代に建てられたお屋敷に、ビミョ〜なデザインの
「TAKASAKIYA」というアルファベットの看板。

しかも、建物半分はTAKASAKIYAビルディングという大きなビルに。

先代が泣くぜ。
なんてことしてくれんねん。

史跡巡りに行ってきました_a0004725_19581315.jpg


次に、東大農学部の正門入ってすぐの朱舜水碑へ。

朱舜水とは中国明の時代の儒学者で、
水戸光圀の思想に大きな影響を与えた人だそうです。

水戸光圀が初めてラーメンを食べた日本人という話は最近良く聞きますが
そのラーメンを作ってあげたのが、朱舜水という説もあるそうです。

現在農学部のある土地が、かつては水戸藩の中屋敷で、水戸光圀が朱舜水に
住まいとして提供していた、

ってメッチャ広い!!

ちなみに、現在の後楽園は水戸藩の前屋敷だった、

ということは

あの広大な土地、ぜぇ〜んぶ水戸藩のモノだったんですね〜。

スケールが違うぞ、スケールが。

私たち一行は、西教寺、願行寺へと向かいます。

願行寺には森鴎外が史伝を執筆している「細木香以」という江戸の通人のお墓があり、
鴎外がしばしば訪れていたそうです。

さらに、東大地震研究所、聖テモテ教会へと進みます。

テモテ教会は、難病治療をしている家族を支援している施設
「ぶどうの家」が併設されています。

地方から上京して治療をするにしても、家族の宿泊代など大変ですよね。
そういった家族へ宿泊施設として提供しているそうです。

ちなみに、大平元総理の葬儀はコチラでやったそうです。

こんなちっさな教会でか?
ちょっと驚きです。

教会前からS坂を下り、弥生正録館前に到着。

非公開なんで、中には入れないのが残念です。

この建物、根津神社のつつじ祭りの時に、つつじを見上げると必ず目につきます

前から気になっていたんです。

この建物はなんなんだ、
チョ〜かっこいいじゃねぇ〜か、と。


輸入生地商を営んでいた渋谷正吉さんという方が建てたのだそうです。

程なくすると根津神社に到着。

根津神社に行く時は、忍ばず通りから入っていくことが多いので、
こんな所に鳥居があったのねぇというところから入っていきます。

人の集まる場所には今も昔もエロがつきもの。(ほんとか?

この鳥居を出たあたりは、かつて遊郭があって賑わっていたのですが
近くに東大が設立され「学生街にこのような如何わしいものがあるのは
いかがなものか?」ということで撤去。

今ではそんな雰囲気はみじんもありません。

ひとしきり根津神社の説明を受けて、トイレ休憩の後、宮司さんのお話となりました。

宮司さんのお話が聞けるというのは募集案内には記されていなかったので、
思いのほかラッキーな機会に恵まれました。

参加者全員本殿に集合してお祓い、代表者の方に倣って二礼二拍手一礼。

皆さんはお年を召した方なので、お祓いの場も経験されているのでしょうが
私は初めてでして、宮司さんをポケ〜っと見ておりましたら、
皆さん頭を下げているので慌ててしまいました。

宮司さんからのお話は根津神社の歴史などなど。

まぁ、要するに天井の絵などに夢中になってしまい、あんまり覚えていなんですな(笑

だって、滅多に見られないじゃん、天井の絵なんて。

説明によると、天井の絵は特定の花を描いているのではなく、
象徴的に花を描いたものなんだそうです。
色とりどりでキレイです。

それと柱などの漆の色があまり朱色、朱色していなくて、どちらかというと茶色に近い朱色です。

京都とは違って、江戸の特徴だと仰っていましたけど、
まぁ、鮮やかな朱色の方がやはり美しいような、、、。

流行ってたんですかね、ケチッたんですかね、それはないですかね。

そんなこと言ってたら、バチがあたりそう。

楼門の向かって右側の随身像は、水戸光圀がモデルと言われているそうなんですが、

「じゃあ、左は?」

と質問すると、ボランティアの説明員さんも、宮司さんも

「そこまではちょっと、、、」

という答えが返ってくるんですよね。

こうなると気になりますよね。

左の人。

根津だから、談志がご逝去されたら、談志像かなんかに替えてしまえば?

なんて、縁起でもないことを考えてみたり、、、。

いよいよ、バチあたりですね。

あと、森鴎外碑銘水飲場っていうのがありまして。
史跡巡りに行ってきました_a0004725_20204665.jpg

陸軍医だった森鴎外が奉納した砲弾の台座で作ったものだそうで、裏に「森林太郎」と
森鴎外の本名が彫られています。
史跡巡りに行ってきました_a0004725_2022363.jpg


お話の後は、ほんの少しお神酒をいただき、史跡巡り終了となりました。
by tabalog | 2010-03-18 20:30 | お散歩

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